びふぉあー あふたー

先日教室のモップを換えた。

1年前(新品)と1年後のびふぉあーあふたー。

1年という時間が長いのかどうかはよくわからないが

このモップを見ればとりあえずおつかれさんと

お声がけしたくなる。

「色〜即〜是〜空〜、空〜即〜是〜色・・・」

と唱えたくもなる。

時間をはかるものに実感は無用。

ただ、

「ありのまま

いつものモップを

ながむれば

月日感ずる

ほととぎす」(ん?関係ない?)

ところで

東日本大震災から2ヶ月。

こんなにも大きな意味を持つ

2ヶ月ってあまりない。

東北の人々は力強く立ち上がっていく事

だろうと思う。願う。

失われた命と時間、たくさんの思い。

残された人々が考えていく事は

なんだろう?

国、政府に望むのは

100年後あるいは何年後かわからないが

同様な事が

起きる可能性があるので

その対策は是非立ててほしい。

高台に住む構想の実現を切に願う。

福島の原発に関しては

「安全神話」も何もかも

なくなってしまった以上

別のエネルギーを考えるしかない。

するとコストの話が必ず出てくる。

原発はコストが安いだのなんだの。

全てコストで換算できれば

いいんだけどさ。

ところでコストとは

  1. 何かを生産するのにかかる(かかった)費用。
  2. 広義には、物の値段のことも含む。
  3. 金銭だけではなく、あるものごとを達成するのに掛かった物理量(時間、エネルギーなど)のこと。

(はてなキーワードより)

とある。

福島の汚染された土壌を元に戻す

のにかかる時間、労力、これから広まるであろう

日本の魚の汚染被害を含めると

こんなコストのかかるものはない。

人は火をコントロールして

文明を作っていったかも知れないが、

核反応はコントロール出来てないから

否。

根源的には

未知の物質→恐怖

→マスコミの巧みな連携

→更なる恐怖の拡大

という構図で過剰に反応しすぎなのかも

しれない。

だけど、

これだけ人々を恐怖に陥れているもの。

人々の思考を痛めつけているものを

自ら増やし続けてきた愚かさは

翻って自分自身の無知にも繋がっていく。

そして、

今でも原発を推進していこうという人々

を見ていると間違いなく人間は滅びの思想

を胸に抱えて生きているのだと確信する

今日このごろ。

数十年数百年後に福島の原発の町にも

人々が行き交う姿を夢想する・・・。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください